山中温泉カレッジ 歴史学部

HISTORY


ここからは、山中温泉の歴史に詳しい山中教授に教えてもらおう。

教授のおでかけ講座は更新をお待ち下さい。

第一回講座「開湯1300年の伝説の湯」

「さぁ、授業を始めよう。

まずはこの上の地図を見るのじゃ。」

そう、この地図は江戸時代にかかれた昔の山中温泉の地図だ。手前にあるのが鶴仙渓がある大聖寺川。奥にあるのは水無山だ。そして、この地図の真ん中にある右の建物。君には何か分かるかな。

その通り。これは、菊の湯・総湯、みんなで入るお風呂だ。今もこの場所に立て替えたとはいえ、菊の湯・総湯がある。今も昔も人に愛されておったんじゃな。

ちなみに左下の写真が現在の菊の湯である。古くより、泉質がよく、身体に良いとされ、この場所には、たくさんの歴史的人物が訪れたとという。近代に入るまで、旅館に家湯などはなかった。なぜなら、この菊の湯に湯治にくること自体が目的であったからだ。知らず知らずに現代の我々も魅了されている、この不思議な名湯。どれほどの歴史があるのだろうか。一体誰が開いたのだろうか。私が研究を始めたのは、そんな理由だった。しかし、それはそれだけでは済まない伝説にあふれておったのじゃ。


そして、地図では右上にあるお寺のような建物。よくみると「ヤクシ」と書いてある。これは今も同じ場所にある医王寺、別名お薬師さんのことである。

山中温泉の歴史を解く為にはこの「医王寺」がキーポイントになってくる。お薬師さんは、この山中温泉を数えきれない年数分見守り続けた温泉を守るお寺なのだ。

このお薬師にあった絵巻物(山中温泉縁起絵巻物)には、行基が湯を開いたと書かれている。絵巻物は江戸時代はじめ一度焼失している。それを悲しんだ当時の住職が新潟のお寺で写したものを探し出し、さらにそれを写したものが現在の巻物だ。巻物の服装などの風俗を見ると戦国時代後半か江戸時代始めごろとされているが、物語は、奈良時代行基が温泉を見つけたことから始まる。それが本当なら…いや、そんなことはいい。つまりは、この山中温泉は開湯1300年の伝説の湯であると記されているのじゃ。

次回はその行基開湯伝説について話をしよう。

↑現代も「お薬師さん」は町を見守っている場所に。


次回予告「山中温泉縁起絵巻物を読む」